救いは求めてないんだが

Johannes Passion の Herr, Unser Harrsher を聴いてると、どうしても救いのなさを感じずにはいられない。俺自身、自分ではじめたことについて救いなんか求めちゃないんだが*1、それでも心は結構痛んでいるってことなのかもしれない。絶望にせよ歓喜にせよ、所詮は自己基準でしかなく、そしてその自己基準が、てめぇ自身の現実の実力をはるかに超えたところに在るように求めちまってんだから、そこに現実を近づけるようにする上で、てめぇがつぶれるか堪えきるかみたいな、ずぶずぶの勝負になるのはやむを得ないだろう。


助かりたいのかね。救われたいのかね。


今まで、自分が人に何をやってきたんだか、もうちょい考えたほうが良くねぇか?

*1:てめぇでてめぇを救うしかなく、手っ取り早く救おうとするなら、今の自分の価値基準を殺せばいい