覚悟はしていたが

最も知られたくない連中に知られてしまった。
狼狽も、予期もなく、唐突にそれは訪れ、ただ正面から長女の視線を受け止めるしかなかった。
離婚して今まで、自分の口から子どもたちに説明をしたことはない。
生活も大きく変わったわけではなく、相変わらず俺はほとんど家には帰らないし、そして家で眠ることは皆無だ。


父親と母親の関係性が子どもたちが思うような形ではないことを、言わない、説明しないというスタンスでよかったのかどうかは分からない。
それでも、説明をしなくてはならなくなるのはもう少し先だろうと漠然と思っていたのだった。


自分自身を思うと、現実を受け止め、消化し、向き合うという工程があたりまえにできるようになったのはずいぶん大人になってからだった。
やるせなさやみっともなさ、時に途方もなくふくらむネガティブな感情と向き合い、感情の波をかき分けて現実をつかみ出し、自分自身の問題として対処するなどといった離れ業を16歳程度の娘に強要することはしたくない。
しかし、同時にこうも思うのだ。
ならばハタチならばどうか。30ならばどうか...。
結局は受ける側の問題でしかないのかもしれない。少なくとも、知ってしまったことを隠したり取り繕ったりはしてはならないと、あの長女のまっすぐな目を見たときに強く感じた。


彼女たちにとっての過酷さを取り払うことはできないが、それでもどういう形であれ、子どもたち全員は最愛の存在であることを正しく伝えていくことで、少しでも彼女たちの不安を取り去ってやれればと思う。