苛酷な状況に陥らなければ達観できない生き物なのか

息をした回数が多ければ、人生が充実しているというわけじゃないからです。息をしながら何をするかが大事なのだと思うのです

まさしくその通りだと思う。
が、発言した彼の状況はこうだった。
http://rate.livedoor.biz/archives/50636251.html


彼のいる世界は一体どんな世界なのだろう。
息をしている間は、彼はすばらしい世界を生き続けることだろう。
ただそれでも、彼に見えるものが自分が見ているものと違うであろうことは想像が付く。


身体が健康で、働こうと思えば働くことができ、日本のような先進国に生まれ育ってきているだけでも相当に幸せなことである。
しかし、幸せならばこそ、苛酷な状況に陥り―例えば大きな諦めを体験して―そこから這い上がるといった成長過程を経ることは難しい。そういった苦しいことをしなくても、生きられるからだ。
自分を取り巻く状況が苛酷になればなるほど、心身ともに、素の自分と向き合わざるを得ない。
そうやっていろいろなものの見え方、感じ方が変わっていく。


先に挙げたような言葉をたいへんな病に冒された人が口にするのを見聞きすると、人の可能性とあわれさを同時に感じて複雑な思いだ。