はじめて会った君は

自分にとってはじめて触れる赤ちゃんは、とても小さくて驚いたけど、元気が詰まっている感じがしたものだ。健康そのもの。まばゆいばかりの未来が見て取れるようだった。
ハイハイをし、立ち上がり、そして喋るようになり、大したオトナでもなかった当時の俺からしても、彼女の感受性や行動、言葉の瑞々しさにいちいち感動したりした。
次々と弟や妹が生まれ、身体も人よりかなり大きく育った彼女は、ずいぶん早くから守られることよりも守ることを考えてばかりいるようだった。
時に頼もしくもあり、時に生き急ぐように成長していく彼女をかわいそうだと思ったりもした。


そんな彼女もすくすくと育ち、高校受験をむかえた。
ここ半年は珍しく余裕を失うくらい力を入れて勉強をしていた。若干15歳くらいで余裕を持っていることのほうが、その歳の自分を思い返してみるとすごいことのように思えたものだった。
本命の高校の推薦からこぼれたとき、俺が否定されたような気持ちになった。倍率は6倍強だったそうだが、7人の中で1番ならいいわけで、そんなのは余裕でクリアしてくれると思わせるくらい親が自信を持てる子に育ってくれていたから。
でも結果的には推薦からこぼれて良かったな。


本命の受験の日、思ったよりも感触が悪かったようで、てっきり彼女は落ち込んでいるのかと思ったら「できることは大体やったし、もう終わっちゃったことだから落ち込んだりはしない」と言われ、育てる/育てられるという関係性が終わりつつあることを明確に意識させられた。そして、本命に受かろうが落ちようが、彼女がそこから得られるものが相当あることも分かった。


昨日。合格だったと聞かされた。
彼女は、人生においてはじめて自分を追い込む作業し、そして同時にそれが報われるという経験も得ることが出来た。受かったことよりも、その経験自体が素晴らしい。心底、良かったと思った。


16年前。結婚当初。長女が生まれたころ。
俺は、ずいぶん、もたれかかってばかりの毎日だった。
遠い目標はあったが、どうやってそこへ向かえばよいのか分からぬまま、思考だけが先行し、じれてばかりいた。嫁と互いにぶつかり合いながらも主張は曲げず、喧嘩の絶えない毎日だった。それでも俺は常に主張を通してきた。しかし、俺は主張を通すが、結局その通した主張の尻拭いをするのはいつも嫁だったのだ。
それでも、子供たちがいるということで、否が応でも成長を迫られた。年上の姉さん女房だけだったら、いつまでたっても甘ったれのまんまだったかもしれない。
子供たちは掛け値なしに可愛く、愛すべき存在であり、そして俺のひん曲がりながらも押し通してきた筋を継承させる道具でもあった。正しいと思えることを、継承させたかったのだ。
そして、それを行うということは、自分を純化させることにもつながった。言っただけのことはしないといけないからだ。
行動を繰り返すうちに、客観性も生まれた。
責任などという言葉とはまったく違う次元で、あの子供たちが存在しない世界など考えられないほど、影響を受け、そして子供たちの幸せを考えてきた16年だった。


4月から高校生になる彼女に、まだ教えてあげられていないことが2つある。
好きなように生きるということと、愛とは何かということについてだ。


世の切り取り方など五万とある。楽観的にも悲観的にも、希望を見いだそうが絶望へ進もうが、信念を押し通す場であろうが、諦念と共に歩もうが、何でもいい。世の中、自分の生について、自分が、「どう」感じるのかが重要だ。
俺が俺の切り取り方を見つけたように、彼女たちも自分で能動的に好きなように世の中を切り取って、自分の世界を築いてほしいと願うが、そこにはちょっとした覚悟が伴う。
ちょっとした覚悟でよい理由は、人間なんざ、そうそう複雑な覚悟ができるもんじゃないし、できたとしても長くは続かないからだ。
覚悟を持って生きていれば、自然と覚悟は信念となり、哲学となり、思想にまで昇華される。
常に行動とセットにして、五感を使って世を堪能してほしい。
俺にとっての世の中は、常に光に満ち溢れており、そしてその光を増幅するために自分を鍛える場でもあった。20数年後、今の俺と同じくらいの歳になった時に、果たして彼女は世の中をそう見てくれるだろうか。失えるものを山ほど持っていてくれるだろうか。


もう一つの伝え切れなかった事柄、愛について。
対象は男女間の愛に限らないんだ。自己愛でもいい。自然を愛するのでもいい。
世の中を能動的にする原動力と俺が見て取っているこの愛という要素について、もうちょっとしっかりと伝えたかった。
愛の構成要素は決して感情だけではない。力の源、というより、力そのものでもあり、表出する感情のもっともっと奥底にあるものを見て取り、捕まえ、そしてそれと向き合うことで、愛を増幅することができる。愛は減らない。むしろ、出せば出すほど増えるものだと思う。
そういう生き方をしていくための手助けをしたかったが、それを身をもって伝えるためには、今のままでは難しかった。


形を変えることになっても、伝えなくてはならないことはきちんと伝えていく。
これは約束する。いや、もう15年前にもちゃんと約束したんだよ。
ちゃんと約束は守る。守っていってやらなきゃな。