小泉満さんとエネルギー

満さんが旅立ったのは 2004 年の 5 月 28 日。
もう丸 5 年が経った。
彼を忘れたままでいられる日は少なく、一日に一度はなんらかの形で話しかける日々は続いている。
思い出の中の満さんは言う。
「東京はエネルギーを失う街だ」
ハタチくらいのころに聞き、木曽から東京へ戻るたびにその意味を考えてみた。
そのころは、エネルギーとは創造力なのだろうかと思っていたのだが、祖母を失った時に祖母の手から体温が消えていくのを感じ、エネルギーとは何なのかが漠然と分かってきた。


確かに、東京はエネルギーを失う街だろうと思う。
なぜなら、エネルギーを明示的に使うシーンが少ないから。意図せず、エネルギーが放出され、明示的にエネルギーを使おうとする気力すら奪われてしまう。こういうことではないか。
意図的にエネルギーを使い、使ったという感覚を得れば、たいてい、使った分以上のエネルギーがよみがえってくる。これが今俺が分かる、エネルギーの増やし方のすべてだ。


満さんは、俺とは段違いなエネルギーを持っていた。
彼の醸す何かに俺は惹かれ、そして迎合し、彼のようになりたいと思った。
途方もない器の大きさ。豊かな感情量。そしてそれらを包む理性と知性。
俺は求道者だったのだろうか。まだ今よりもはるかにみずみずしい感性*1を持っていた当時、道に迷っていたことは間違いない。道に迷った者が、道標を見つけたときのような感覚があったこともそうなのだが、実は本心では、満さんを心底尊敬したのは、自分の中に共鳴できる何かがあったからこそと思っている。その実、俺の構成要素の一部には、間違いなく彼が入っているわけで、彼にはじめて会った時に「共鳴した」と思った何か――当時の俺の構成要素の核のようなもの――はいまどこへ行ってしまったのかわからない。


今もって、謎なことがあるのだが、なぜ満さんは俺を可愛がってくれたのだろうか。
それもある程度は分かってきた。
人の親になり、齢を重ねて、ようやく分かってきた気がする。
俺は残念ながら、40代の満さんを知らない。
しかし俺と会った頃の満さんの歳になるまでには、彼と同じエネルギーを持てるように歩まねばなるまい。


さて。ではエネルギーとは具体的に、何であろうか。
それを探すのもまた課題のひとつなのだろう。

*1:少なくとも、社会に対してはそうだ