傳大人と虾鬼

俺が Web 系 SE を目指すきっかけは、傳さんとの出会いだった。
細かくは割愛するが、彼と一緒にやった仕事がその後の俺の仕事の行く先を大きく変えた。
彼は超が付く秀才で、エリートで、そして人間的にもでかい。
当時、彼が話す技術論は概要を理解するのに精一杯で、はるか遠くの、さらにその先にいる人だと思っていた。
8 年が経った。
差は埋まらない。むしろ開いたかもしれない。


重慶出身の彼に、どうしても池袋の知音食堂の料理を食べてもらいたかった。俺が日本で食べた四川料理の中で、一番「成都で食べたあの感じの味」に近い店だったからだ。
今回、傳さんと会うのは数年ぶりとなる虾鬼にも、汶川大地震で行くことができなかった本場成都四川料理を、四川出身である傳さんに料理を選んでもらって食べてもらうのどうだろうと画策した。
ところが、傳さんのご母堂は上海出身のため、実はあまり辛いものは得意ではないそうだ。ご母堂が上海出身ではない虾鬼も辛いものは苦手。つまり、好んで辛いものを食べるのは俺だけということになる*1


中国の話に花を咲かせ、ひさしぶりに本気で突っ込んだ技術論をする。すべてが刺激的だ。
3D のアルゴリズムの話、バイナリの話、ライブラリの話。
そこでふと気づく。
俺自身、開発技法が進化し、OOP になり、Perl の豊富な CPAN モジュールを使ってある程度自在にコードを書けるようにはなったが、傳さんとの決定的な差は、傳さんはアルゴリズムを生み出し、ライブラリを自作し、場合によってはアセンブラを書いて、自らの研究や、その製品化を行っているというところなのではないだろうか。
俺は、彼らが生産している仕事の副産物を使って仕事をさせてもらっている。


思えば Open Source にはお世話になりっぱなしだが、その生産物にも、コミュニティにも、ろくな恩返しができていない。
Open Source に限らず、何らかの形で社会へ還元していける方法を、何とか実現していきたいものだと強く感じた。

*1:事実、「加麻」と頼んだ麻婆豆腐はほぼ俺一人で食べた